篠山市内の居宅介護支援事務所、want・それいゆの2施設と連携し、2月28日に今田町の「夢工房」で陶芸体験を行いました。
私たちは、公私問わず、可能な限り、応援します。
この写真左側(背が高い)は、宮城県気仙沼市の「大沢」集落の「熊谷さん」です。 右が、篠山市「大沢」集落のの私です。
「2011年中に、何としても震災があった現地に行って、目に焼き付け、そこで感じたものを心に刻みつけたい」という想いで、数日前にやっと日程調整ができ飛行機で行きました。
JR篠山口駅前・「大沢」自治会の夏祭りは、20回を超え、「文化」としても育ってきました。
あの「3・11」に大地震・大津波が襲いかかり、すさまじいまでの光景が何度も何度も映像として私たちの目の前に映し出されました。
だれもが、「何か力になりたい、何かしたい。自分にできることは何?」と胸を痛めたのではないでしょうか? 一瞬にして、すべてを飲み込みました。 すべてを、一瞬にして———。
私たち篠山市大沢の夏祭りに、何か応援をしたい、と実行委員会で、私から話を出しました。
「募金」——. 募金? でもどこに、いつ手渡されるか、わからない—-.直接渡せないか?と
悩んでいる時、私がたまたま目にしたスポーツ新聞に、何と「気仙沼大沢、熊谷さん」の文字。
「これだ!!」と、すぐにそのスポーツ新聞社まで電話をしました。その記事は東京で書いているようで、電話をした理由「震災の東北に直接、応援の気持ちを伝えたい、と話すと、担当の方がすぐに、「わかりました。いいことですね。応援しますよ。同じ新聞でも、大阪と東京では別会社なので、その記事は東京記者が書いています。すぐに調べて連絡しますね。」という返答でした。翌日に東京の記者の電話番号を教えていただき、その記者も「読んでいただいてありがとうございます。そのような同じ地名での支援というのはまだありません。大変いいことで、相手の熊谷さんも喜ばれますよ。連絡をとりますので待っていてください」と大変喜んでいただき親切な応対をしていただきました。3日もしないうちに、現地の熊谷さんと話をすることができました。 その後、そちらはどうですか?から始まり、何か必要な物は?と話した進んでいきました。熊谷さんから「今はとりあえず物資はあります。蚊取り線香も送ってもらうことが今日決まりました。古杉さんとこは、しばらく待っていてほしいのです。今の避難所から9月ころ仮説住宅に移ります。その際に、各家庭で必要な物が出ますので、その時に言いますのでお願いします」との内容でした。私は、その話を大沢自治会の皆さまに話して、大沢夏まつりで義援金を集め、ストックすることにして気仙沼市大沢熊谷さんとの交流を深めました。